縄文時代の扉を開く

集落のようす 遺跡の規模は、全体で約42ヘクタールあります。 これは東京ドーム約9個分くらいになります。発掘調査によって集落の構造が少しずつ明らかになってきました。
■ 集落の立地 ■
  遺跡は八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端にあります。当時は豊かな落葉広葉樹の森が広がっており、クリ、クルミ、山菜などが豊富でした。
  また、近くの陸奥湾は、年間平均の波の高さが約30センチメートルと穏やかな内湾で、魚が豊富でした。集落の北側を沖館川が流れており、海にそそぐ河口近くの小高い丘の上に縄文の人々は村を作っていました。
  この場所は食料を得る上では好都合でした。海と森の恵みを組み合わせることによって、 一年間この場所 で安定した生活をすることができました。

■ 集落の構造 ■
  縄文人は土地の使い分けをしていました。特に墓と普段生活している住居は厳密に分けられています。他に家が密集して作られる所、まつりの場所、物をしまう・貯蔵する場所、ゴミ捨て場などを作っていました。

集落のようす(復元)
集落のようす(復元)

■ 縄文時代中期中頃の三内丸山集落の様子 ■
縄文時代中期中頃の三内丸山集落の様子
縄文時代中期中頃の三内丸山集落の様子

 

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