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三内丸山遺跡についてabout

平成27年度

個人研究

研究テーマ

北陸系石材の三内丸山遺跡への波及の研究

研究者

中村 由克(明治大学黒耀石研究センター)

研究成果概要

 三内丸山遺跡の報告書No24~41に記載された磨製石斧のすべての石材鑑定をおこなった。その結果、これまで明らかになっていたように、北海道系が日高産の緑色岩(アオトラ石)59.5%、神居古潭産の青色片岩等10.5%で計70.0%を占める。在地的な東北系は粗粒玄武岩、花こう閃緑岩、閃緑岩などがあり、計24.1%であった。さらに、新潟・富山県境産の透閃石岩1点(0.53%)が確認された。石製品は主だった資料の鑑定で、ヒスイ、透閃石岩、滑石、および霰石ないし方解石などの複数の北陸産石材が含まれることが確認された。

 かって蛇紋岩と言われた透閃石岩や滑石は、実体顕微鏡や比重・磁性などの調査から、正確な石材鑑定ができ、さらに色調、透明感などの岩質の違いによって北陸産と岩手県産の石材の判別が可能になり、原産地推定ができるようになった。磨製石斧は、主として製品として搬入されたと思われるが、石製品の多くはヒスイの破片が多く含まれるように素材の状態で搬入されたと推定される。

 

 

研究テーマ

三内丸山遺跡出土土器付着炭化物の炭素・窒素安定同位体比分析

研究者

三内丸山遺跡保存活用推進室

研究成果概要

 炭素・窒素安定同位体比分析とは、人骨から抽出したコラーゲンや土器に付着した炭化物の炭素・窒素安定同位体比を用いる分析であり、当時の食性が復元できるものである。人骨の同位体比が10年程度の平均的な食の傾向を示すのに対し、土器付着炭化物は土器によって調理された食材の傾向を示す。

 今回、特別研究として、三内丸山遺跡から出土した土器付着炭化物の炭素・窒素安定同位体比分析を行った。対象試料は、三内丸山遺跡集落の開始期である縄文時代前期中葉と縮小期である縄文時代中期後葉~末葉の試料を中心に12点の分析を実施した。西本豊弘らによる研究成果(西本2009)において、炭素同位体比・窒素同位体比・炭素/窒素比が公表されているデータを併せると、以下の結果が得られた。

 前期の試料は相対的にC3植物(註1)・草食動物の範囲にプロットされたものが多く、中期の試料は相対的にC3植物・草食動物と海産物類の中間あたりにプロットされたものが多いという結果を得られた。分析点数が少ないため、傾向とは呼ぶには至らないが、分析結果には違いが確認された。

 また、炭素/窒素比が30以上の値を示し、デンプン(炭水化物)を主成分とした食料素材に由来する可能性があるものは、前期の試料3点だったため、今後分析を行う上での検討課題としたい。

 今後さらに三内丸山遺跡出土土器付着炭化物に関するデータ(付着位置・付着量・付着土器の型式等)を集め、分析を行っていく必要がある。併せて、肉眼観察による炭化物の類型化(色調・形状等)を行い、既知の実験データ(西田2006など)等と照合することで、より詳細に土器付着炭化物の由来を検討できる可能性もある。

註1:C3植物…イネ・クリ・クルミなどの植物。対してC4植物はトウモロコシ・アワ・ヒエなどのイネ科植物など。

参考文献 

西田泰民 2006 「炭化物の生成実験」『新潟県立歴史博物館研究紀要』第7号 新潟県立歴史博物館
西本豊弘 2009 『弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の構築-』平成16~20年度 文部科学省・科学研究費補助金 学術創世研究費 研究成果報告書(課題番号16GS0118)

 

共同研究

研究テーマ

三内丸山遺跡の集落遺跡の復原と図像化

研究者

辻 誠一郎(東京大学大学院)

研究成果概要

 共同研究は空間情報学、芸術、地質学、古生態学、植物学、年代測定学、考古学の9名の協力によって遂行されました。共同研究の第一の目的は、三内丸山ムラに集住したか集合した人々の生活にかかわる機能的な空間としての集落生態系を縄文前期最盛期および縄文中期最盛期に着目して歴史景観生態学から復原することです。

 第二の目的は、復原された集落生態系を空間情報科学と芸術から画像や絵画として具体的に図像化することです。三内丸山ムラでもっとも大きな土地造成・改変が行われた三つの盛土場について形成プロセスと目的を検討した結果、盛土はすぐ周辺から土取りが行われ、盛られたあとクリ材を主体とした木炭群を混ぜ込み、その後平坦にならされて次第に盛り上げられたものと考えられました。この過程で送りが行われたと考えられ、盛土場は送りの場であることを裏付けました。

 集落生態系の復元の結果、縄文前期・中期ともに三内丸山ムラの主要部は、居住域や墓域などの諸施設の周囲の大半はクリ林であり、外側の台地から山地ではクリを主体とする二次林、ブナ・ミズナラ林へと連続することが推定されました。平野側の低地にはハンノキ・ヤチダモ林やヤナギ林が鬱蒼とした森林をつくっていたと考えられました。

 なお、ムラの主要部ではクリ林に加えて、部分的にウルシ林(畑)の存在が確認できました。また、縄文中期になると低地から台地にかけての谷底と斜面にはトチノキが拡大し、人によって保護されるとともに、資源として利用されていたことが示されました。集落生態系の図像化では、ドローンによって得た画像をベースに3Dモデルのビデオ動画および静止画として復原する試みをしました。これをベースにして生活風景としての景観を絵画として描く試みをしました。

 

 

 

年報

年報 20