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三内丸山遺跡についてabout

平成25年度

個人研究

研究テーマ

縄文土器の紐積み方法と素地選択の復元、および、それらの技術を選択した理由の解明

研究者

小林 正史(北陸学院大学)

研究成果概要

 本研究の目的は、①接合線の形状から縄文土器の紐積み方法(外傾接合か内傾接合か、および、「3本置くように積んだ後、伸ばし圧着」仮説)を復元すること、および、②縄文前期から後期への紐積み方法の変化を生み出した理由について深鍋の形・作りと紐積み方法との関連から検討する、の2点である。

 接合剥離痕の観察は、三内丸山遺跡の大型破片(円筒下層式34点、上層式56点)と中平遺跡の縄文後期前葉の復元深鍋(14点)を対象とし、断面薄片での粒子配向の観察は、口縁から胴下部までの長い断面を観察できる三内丸山遺跡の6点(円筒下層3点、上層3点)と大型破片10点(円筒下層式7点、上層式3点)を対象とした。

 紐積み方法の分析方法の確立: 従来の紐積み痕の観察では内傾/外傾接合の認定が曖昧だった。これは、土器図面の断面図において、折れ面の形をそのまま継ぎ目の形と誤認することが多かったことが理由である。そこで本稿では、①水平割れ口の位置から継ぎ目の位置を認定する、②接合剥離面の形状や断面薄片における粒子配向の変化により継ぎ目の形状を判定する、③大型破片を用いて「3本積んだ後、休止」という紐積みサイクルを認定する、という手順で紐積み方法を復元することを提唱した。

 分析の結果、以下の点が明らかとなった。第一に、後期半ばにおける外傾接合から内傾接合への変化は、円筒形の深鍋から「開きが大きく、薄手の深鍋」の変化に伴い、へたり防止を重視した選択である。第二に、円筒下層式から上層式への紐積み休止部(カマボコ形接合剥離痕)の顕在化は、円筒下層式の「一気に成形する」大量生産・消費方式から、上層式の厚手化・大型化への変化に対応した選択である。

以上の点で、縄文前期~後期への紐積み方法の変化は、「必要とされる形・作りを達成するための技術選択の結果である」ことが示された。

 

研究テーマ

北東北における円筒土器文化の変容過程に関する考古学的研究

研究者

永瀬 史人(青森県埋蔵文化財調査センター)

研究成果概要

 円筒土器文化は、縄文時代前期から中期にかけて発達した東北北部を代表する縄文文化の一つである。しかし、中期の中頃に南東北に分布の中核がある大木式土器が北東北に及ぶと、円筒土器もその影響を受けてデザインが大きく変化する。このような過程は「円筒式文化の崩壊」とも理解されており、これまでに多数の研究者が土器や竪穴住居跡の観点からその有り様を論じてきた。

 申請者は、この時期に土器が変容した背景を明らかにするため、青森県内の出土事例を中心に土器の文様と土偶・石棒との関係、土器の埋設行為や廃棄行為などに注目し、その変化の過程と大木式土器の波及との関係性について検討を行った。結果、縄文時代の中でも象徴的色彩の強い「S字文」や「玉抱き三叉文」が大木式土器を介して円筒上層式土器に顕著に取り入れられるようになり、石棒や土偶の文様の変化にも関与していることを指摘した。

 加えて、土器の埋設行為や廃棄行為にも当該文様が出現する過渡期に大きな画期が認められ、それが大木式土器の受容傾向と一定の相関関係にあるものと推測した。円筒式土器から大木系土器へと移行する期間には石器組成や住居形態にも変化が生ずると考えられていることから、申請者はシンボリックな外来要素の伝達が起因となり、世界観(cosmology)の領域にまで変化が及ぶ文化変容(acculturation)が起きたとみている。

 一方で、円筒土器が流行した地域の土器の組成には独自の様相も認められるため、当地の縄文文化の理解には大木系土器文化とは異なる要素も明確にしていく必要がある。

 

 

年報

年報 18