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三内丸山遺跡についてabout

平成21年度

個人研究

研究テーマ

縄文時代のマツリと盛土遺構―東北地方を事例として―

研究者

川島 尚宗(リュブリャナ大学)

研究成果概要

 三内丸山遺跡の盛土遺構に関する論説では、「送り場」などマツリまたは祭祀との関連が指摘されてきた。確かに、大量の祭祀遺物や遺構が出土しており、盛土が祭祀的な性格を示している。しかしながら、盛土の形成をめぐってどのような行為がおこなわれたかについて具体的に検討されていない。本研究では、祭祀と盛土遺構の形成との媒介的行為として饗宴に焦点をあて、盛土の形成過程について考察を試みる。饗宴とは複数の人数で特別な機会に食事を共有する行為と定義され、さまざまな地域で報告されている行為である。ただ、饗宴の開催自体が目的となる事例は少なく、通常何らかの儀礼にともなって饗宴が催される。饗宴では日常的な食料消費よりも大量の食料が調理、消費されるため、規模や頻度によっては遺跡内での堆積作用に関与すると考えられる。

 盛土形成が活発化する中期前葉に人口増加の傾向がなく、各層がある程度の厚さをもっているため、焼土や炭化物が層中に含まれていても、単純に日常的行為のみによる堆積とは考えられない。焼土や炭化物を多く含む層は各時期に分布することから、集落において定期的・継続的におこなわれる行為と特に関連していた可能性が高い。これらの特徴は祭祀を想定させるが、狭義の祭祀だけでは盛土の堆積を説明することはできない。祭祀にともなう饗宴が発達したことによって、非日常的な堆積物が増加したと考えられるのである。今後は、饗宴の直接的な証拠を提示するとともに、盛土がどのように利用され形成に至ったのかについて考えることが課題となろう。

 

 

研究テーマ

円筒下層式土器期の石匙の使用痕研究

研究代表者

高橋 哲(株式会社アルカ)

研究成果概要

 この研究は、三内丸山遺跡第6鉄塔地区出土石匙の使用痕分析を通して、石匙の用途について考察することを目的とする。その際Aタイプ光沢というイネ科植物によって特有に生じる使用痕光沢に注目する。先行研究の成果から、石匙の用途には次のような傾向がある。

 

  1.  縄文時代前期の円筒下層式期にAタイプ光沢が多く見られる。
  2.  中期の円筒上層式期は石器組成から石匙が少なくなる。
  3.  前期大木式期にはAタイプ光沢は確認されているが、円筒下層式期と比べ少ない。
  4.  関東・中部ではAタイプ光沢はほとんど検出されない。ただし使用痕分析に不向きな粗製石材が多い。

 

第6鉄塔地区は、円筒下層式から上層式まで確認されており、分析した結果、円筒上層式に相当する第Ⅲ層以上の層位はAタイプ光沢が少なく、第Ⅳ層以下の円筒下層式の石匙にはAタイプ光沢が半数以上に確認できた。縄文時代前期に石匙のAタイプ光沢が多い結果となった。

 また縄文時代前期後葉、青森県石江遺跡、秋田県池内遺跡の石鏃が大量に出土した土坑出土石匙も分析したところ、Aタイプ光沢が確認でき、従来狩猟者の墓とされていた土坑にも植物に関わる道具が納められたことになる。

 三内丸山遺跡は、円筒下層式と上層式の2時期に分かれる。

 円筒下層式土器は繊維が混入されている土器であり、円筒上層式土器は繊維が混入されていない土器である。土器文様についても円筒下層式は縄目の芸術といえるほどの縄文の多様であるが、中期は隆帯が発達していく段階である。

 当初Aタイプ光沢がみられる石匙の増加は、繊維土器の影響であると考えた。しかし他遺跡の分析から、繊維土器が出現する縄文早期から前期前葉にAタイプ光沢が増加するのでなく、前期中葉、円筒下層a式期に増加する傾向があることが分かった。つまり三内丸山遺跡の成立ごろを境に石匙とAタイプ光沢が増加する。そして中期になるとAタイプ光沢検出率が下がり、石匙の数も減少する。

 

 

共同研究

研究テーマ

三内丸山などの「盛土遺構」の研究

研究者代表者

小林 克(秋田県埋蔵文化財センター)

研究成果概要

 本研究では、三内丸山遺跡を含む東日本から北日本にかけての縄紋時代遺跡に特徴的に見られる盛土遺構について、その形成プロセスや現状認識の整理を行うことを目的とした。

 形成プロセスについては、三内丸山遺跡西盛土と御所野遺跡盛土および竪穴建物跡の覆土の堆積状況を、針貫入試験および土壌微細形態分析の方法を用いて調査した。西盛土の針貫入試験では上位層ほど硬度が高いという一般的な乾燥化の傾向が示されたが、盛土形成に関わって異なる母材が用いられ形成後に人為的撹拌がされるなどの結果により、単一層内でも硬度にバラツキが認められた。土壌薄片を作成しての顕微鏡観察、X線写真観察では盛土遺構の下部に、異母材の1㎜以下の微小ブロックからなる人為撹拌を受けた堆積箇所が確認され、針貫入試験結果を裏付けた。また、下部の一定層以上では微小ブロックの粘土被覆が観察され、季節に応じた湿潤・乾燥が繰り返されるような環境への変化が確認された。御所野遺跡では盛土遺構に接するFJ46竪穴建物跡の覆土を同様の方法で観察し、人為的盛土、再堆積土壌であることを確認した。

 盛土遺構研究の現状認識の整理については1)東北北部から北海道南部(円筒土器文化圏)での「盛土遺構」、2)東北地方縄文時代後晩期の「盛土遺構」、3)「環状盛土」と「環状貝塚」の研究史的整理、4)貝塚と「盛土遺構」の差異、の個別テーマについてそれぞれ研究を行った。そして、盛土遺構研究の今後の課題として、

①集落内施設として観察する視点、

②「盛土遺構」内に介在する遺構(竪穴建物、土坑墓、埋設土器、石組炉など)や祭祀遺物の様相の確認、

③偽礫や砂礫の移動・崩落なども説明しうる土壌微細形態分析による堆積環境復元、

④堆積層、廃棄単位、ブロック内容物(焼土・炭化種実・焼骨片)およびそれらの成因解明、

⑤集落の全体構造の変遷と関わり「送り場」である「盛土遺構」が居住域・墓域と重なって浸蝕された可能性の検討、

などがあることを確認した。

 

 

年報

年報 14