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三内丸山遺跡についてabout

平成14年度

総合研究

研究テーマ

縄文時代におけるクリ資源利用と資源再生に関する総合研究

研究者

鈴木三男、高島成侑、清和研二、能城修一、山田昌久、佐藤洋一郎、山本俊哉、陶山佳久、新見倫子

研究成果概要

 自然林にあるクリが、伐採方法の違いにより、択伐ではクリが減少、消滅すること、皆伐では伐採前の量を確保できるか或いはむしろ増加する可能性があることが示唆された。しかし、一定面積を皆伐するには多大な労力を要することも明らかとなった。

 クリの実の生産量は年変動が少なく、毎年一定程度の収穫が見込めるが、これは個体によって豊凶がばらつくことによってもたらされることが明らかとなった。

 クリのSSRマーカーの開発に成功し、予備的な実験から青森県及び道南地方の集団が遺伝的に近縁であることが指摘された。

 以上に加えて縄文時代のクリ利用と資源再生に関して実にさまざまな問題点が明らかとなってきた。今後も継続した研究によりひとつひとつ確実なものとしていく必要がある。

 

 

総合研究

研究テーマ

三内丸山遺跡における墓域の基礎的検討 -階層性の有無を中心に-

研究者

山田康弘

研究成果概要

 三内丸山遺跡で検出された土坑墓群に対して、その空間的あり方、上部構造、下部構造、土坑墓の規模、副葬品、赤色顔料の有無といった属性を取り上げ、全国の事例と比較しつつ検討を加えた。その結果、上部構造と土坑墓の規模に関しては何らかの相関性が存在することが確認できたが、それ以外の属性に関しては積極的な対応関係を見いだすことができなかった。このことからみて、三内丸山遺跡においては突出した特定個人や集団を見いだすことはできず、身分階層制度が存在したと考えることは難しいと判断できる。むしろ埋葬小群相互は相対的な自立性を見せながらも等質であり、世帯を単位とした共同墓地である可能性の方が高いという結論に達した。

 

 

研究テーマ

竪穴住居形式の分析から見た三内丸山遺跡の空間構成と変遷

研究者

谷口康浩

研究成果概要

 三内丸山遺跡の竪穴住居跡の諸形質を数値データとして計測し、統計学的分析によって住居型式の分類を試みた。多変量解析の結果、220軒の竪穴住居資料が21クラスターに分類された。これらのクラスターを系統的・編年的に整理し、集落空間の変遷過程を知るための時間軸として6つのステージを設定した。各ステージの住居型式分布図によって、円筒土器文化期における集落空間の構成が明確となり、また円筒土器文化の終焉に伴う住居容型式および集落空間構成の変化を確認した。

 

 

研究テーマ

円筒土器文化圏における土器・土偶の移動に関する研究

研究者

松本建速

研究成果概要

 津軽海峡を挟んだ南北の地域には、三内丸山遺跡をはじめ、「円筒土器」とよばれる筒状の土器を用いた人々が住んでいた。その人々がどのような交流をおこなっていたのかを、土器や土偶の製作に用いた土の化学成分の分析を通して考えた。

 土器はそれぞれの遺跡周辺の土を用いて各地で作られるのが基本であり、あまり流通していなかったと推測された。また、各地で白色系の粘土が選択されるという共通点もあった。土器が移動していたのではなく、各地で類似する土器が作られていたことは、類似する土器が分布する範囲内で土器製作者の行き来があったことを物語る。

 

 

研究テーマ

円筒土器様式の地域性と周辺土器様式との接触について

研究者

茅野嘉雄

研究成果概要

 円筒下層式土器様式について、その変遷と地域性の有無、他の土器様式との接触について調査した。
 結果は以下の通りである。

  1. 器形面で各型式において大きく南北の差が見られた。境界線は青森県と岩手・秋田両県の県境付近である。
  2. 文様構成では、地域差がより細かく現れた。
  3. 土器の変遷においては、先に器形が変化し、次いで文様が変化する傾向が見られた。
  4. 3までにわかった地域性を越えて各地域に共通する要素(土器の法量、製作技法[繊維の混入度合い等])も存在することがわかった。
  5. 前期大木式との接触は、円筒下層式を通じて南半の地域に見られることが多いが、大木式そのものが出土するのは北緯40度付近以南である。それ以北では折衷土器が多い。また、円筒下層式成立段階では、大木2~3式が遠く北海道南西部(特に噴火湾沿岸地域)にまで達している。
  6. 日本海沿岸地域では、円筒下層式土器様式圏外で円筒土器が出土したり、北陸地域の土器が大木式土器様式を飛び越えて円筒土器様式内で出土することがある。

 

 

研究テーマ

円筒土器文化圏における石器ならびに土器表面加工技術に関する研究

研究者

赤沼英男

研究成果概要

 三内丸山遺跡では縄文時代中期からパイプ状物質を含む赤色材料を使用していた可能性が高いこと、色の種類・下地調整法にバラエティーが出てくることがわかった。

 周辺の遺跡調査により、円筒土器文化圏では縄文時代中期に新たな塗彩技術、または製品が流入した可能性があることがわかった。

 

 

研究テーマ

縄文時代中期「円筒上層式土器」の変遷と地域性

研究者

小笠原雅行

研究成果概要

 今回の研究では上記タイトルをテーマとしたが、資料数の多い上層c・d式を主な対象とした。
 両者の時間関係については、三内丸山遺跡の層位関係、富ノ沢(2)遺跡の住居跡での共伴関係から、従来言われているとおり刺突文が施文されるものから、無いものへと変遷する。様々な文様属性の中で、継続的・発展的に文様が変化するようである。

 地域性については資料数が当初想定していたほど多くはなく限定された中で述べるが、c・d式を通して三八地域以南、富ノ沢遺跡、津軽地域で地文の種類の違いや縦横に区画する粘土紐の本数・多寡によって地域的な違いがある。例えば三内丸山遺跡では、両型式を通して結束第一種羽状縄文が他に比べ高率を示す。また、馬淵・新井田両河川では上流と下流で使用される原体に若干の差がある。粘土紐によって構成される文様には広範囲に渡って共通する文様と、ローカル色をもつ文様があり、前者は文化圏縁辺にいくに従い、文様構成が崩れたり、単純化されたり、極端にデフォルメされたりする傾向にある。(数量的に満足していれば)各遺跡らしさを見て取ることもできるが、各地域で明確な一線を引ける性質のものではない。これは当時の社会においてヒト・モノ・情報の複雑な動きがあったものと考えられる。

 

 

年報

年報 7