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三内丸山遺跡についてabout

平成12年度

共同研究

研究テーマ

三内丸山遺跡における人と自然の交渉史Ⅲ -遺跡の時空間的位置づけと生態的特徴の解明を中心として-

研究者

辻誠一郎、中村俊夫、久保純子、森勇一、樋泉岳二、津村宏臣、村田泰輔、辻 圭子、黒住耐二、後藤加奈子

研究成果概要

 青森平野と三内丸山遺跡の生態系史を解読するため総合的な調査を行った。

 青森平野の生態系史について考察すると三内丸山遺跡の時代には海岸線はかなり後退し、現在の位置に近かったと予測される。遺跡と海岸の間は湿地帯が広がり、沖館川が海と接続する通路だったと考えられる。

 三内丸山遺跡の生態系史について植物・昆虫・魚貝類等の廃棄物の内容を総合的に検討した。例えば、魚貝類は沖館川流域と沿岸~外洋の広域で調達されていたと考えられる。これは三内丸山の近くに干潟や内湾の存在は考えにくいという復元された環境とも一致する。また、イカのカラストンビが多数確認され、多くの物を食料としていたことがわかった。哺乳類で数多いノウサギは人による生態系の撹乱が広がっていたことを示すものと考えられる。

 

 

研究テーマ

縄文時代のクリ林利用の技術史

研究者

鈴木三男、高島成侑、清和研二、杉田久志、能城修一、山田昌久、佐藤洋一郎、山本俊哉、陶山佳久

研究成果概要

 縄文時代はクリは食糧資源としても木材資源としても重要であるが、基準となる数値は提示されていない。

 クリの役割を明確にするため、クリの群落生態学的な調査や、実験林での皆抜・クリのみ択抜・クリのみ残して皆抜の調査区を設定し経年変化の比較や遺伝子解析、年輪成長解析などのほか、建築用材としてのクリ材需要量の算定などを行った。

 群落調査では雑木林の中に含まれるクリの本数を直径毎に調査し、建築材として利用可能なクリの本数のデータが得られ、集落建設に必要な雑木林の面積を推定した。

 また伐採方法の違いによるクリの萠芽再生能力の違いについてのデータが得られたほか、現生のクリの遺伝的多様性の解析ではSSRマーカー開発の目処がつく等の成果が得られた。

 

 

研究テーマ

三内丸山遺跡の遠近感

研究者

小山修三、藤沼邦彦、大島直行、桜田 隆、高田和徳

研究成果概要

 円筒土器文化圏では、土器の斉一性が高い一方、住居跡の形態やセット関係の点で地域性があることがわかった。

 三内丸山遺跡は、集落の施設が多くなり、まもなく最盛期を迎える。最盛期には土偶が爆発的に増え、小型の竪穴住居が大多数を占るなど、他の集落との違いが顕著になる。

 その後文化は目立って変容しはじめるが、東北北部には独自の文化が脈々と引き継がれていくのではないかと考えられる。

 

 

公募研究

研究テーマ

縄文時代のクリ材の年輪解析による高精度編年の試み

研究者

木村勝彦

研究成果概要

 クリ材は縄文時代の建築材として重要であるが、従来年輪年代学には利用されていなかった。このため、縄文時代の遺跡で利用できる相対的な物差しを作るため、研究を行った。あわせて、成長パターンの解析によりその木の生育環境の推定を行った。

 北の谷の杭の年輪から出土した杭4本の年輪解析を行ったところ、3本の生育時期が重なった。3本の杭は6年の間に伐採されたことがわかった。

 また、2000年10月に掘り出された大型掘立柱建物跡の木柱2本の年輪を計測したところ、太い方は84年の年輪があった。成長パターンを見ると、初期成長は極めて早いが、60年を過ぎると成長は急速に悪くなったことがわかる。

 

 

研究テーマ

三内丸山遺跡における色材料の使用状況に関する基礎的研究

研究者

赤沼英男

研究成果概要

 三内丸山遺跡から出土した木胎漆器・漆塗土器・赤色顔料塊・土器内に保管された物質の分析を行い、赤色顔料の利用状況を調査した。

 その結果、これらの赤色顔料はいずれも酸化第二鉄(ベンガラ)であることが確認された。

 また、ベンガラの形状はパイプ状と非パイプ状の2種が、前期から中期にかけて存在することがわかった。

 さらに遺跡内で赤色顔料塊を粉砕し、それを漆に加えて赤色漆を作る作業、漆塗りの作業が行われていた可能性がある。

 

 

研究テーマ

縄文時代の道と記念墓列の研究

研究者

阿部義平

研究成果概要

 三内丸山遺跡の例を中心に、縄文時代の道と列状の墓、配石墓を再検討し、墓制の変遷、系譜について考察を加えた。

 縄文時代の道の検出例はわずかであるが、その中で三内丸山遺跡では律令時代の都大路にも匹敵する造成道路が検出されている。道は三方に延びて各集落に向かっていたと見られる。道に沿うようにつくられた列状の墓は、各方面の上位階層の人々が葬られているのであろう。

 配石墓にはいくつかのパターンがみられるため、集団の特徴、または代表者を示す墓標である可能性がある。

 三内丸山遺跡は配石墓などの研究でも重要であると思われる。

 

 

年報

年報 5